夢の欠片、その在処は

舞鶴鎮守府で提督やってます

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

蛇足の意味

かつて、竜騎士07氏はコラムでこう書かれたことがありました。

――私のとっての「祭囃し編」とは、実は口直しのキャンディーみたいなもの。実は蛇足なエピソードだと考えています。(中略)最後のハッピーエンドを拾うためだけに、「祭囃し編」があると言えるでしょう。
原作者は、ハッピーエンドの完結編をして、蛇足と言います。
では、ハッピーエンドの更にその後へ、物語を付け足すという行為はどうなのでしょうか?
蛇足でしょうか?
……蛇足、でしょうね。
「蛇足」には、余計なもの、無駄なものという意味からして、どうしてもマイナスなイメージがあります。

でも、蛇足なものを書く、蛇足なものを読む、その理由と意味もまた、ある人にはあるのだと私は思っています。

先日、「闇現し編」「神騙り編」などの作者・佐和多里氏より、返信のメール、並びに拍手コメントを頂戴いたしました。
ここで本文を紹介することは控えますが、ごく一部だけ。

“原作を尊重するがゆえにあえて「IF」と称すという配慮”

これは私にとって真であり、同時に偽でもあります。

あくまでも「原作と異なる道」の可能性の一つでしかない、という配慮。
こういうIFの可能性があってもいいじゃないか、という主張。

以前、正式タイトルから「澪尽しIF」の文字を消すのが躊躇われて…ということを書きましたが、躊躇った理由は、「IF」へのこだわりがあったからです。

あくまでも原作こそが王道――本流である、と同時に邪道――傍流の存在も認めて欲しい。

邪道とは所詮、王道を好む人間には邪魔――蛇足なものです。
蛇足と切り捨てる(否定する)のもまた自由、邪道を好むのもまた、自由なのです。
「後夜祭」というタイトルにも「蛇足」という意味を込めています。「祭の後の祭」……必要なのか、不要なのか。必ずしも、どころか人によっては100%不要なものでしょう。

蛇足は、ただの「無駄」でしょうか? 必要の無いものでしょうか?
鳳龍は「澪IF」を書いたからこその出会い、経験をすることもできました。二次創作を書いていなかったら、この1年4ヶ月は全く別の人生を歩んでいたかもしれません。
蛇足を書いたからこそ、得られたものです。

佐和多里氏のもう一つの言葉は正鵠を射てもいます。
“創る立場になって、原作者の苦労も少しは理解できるような”
鳳龍が長らく結末を提示できなかった理由も、まさにここにありました。だからこそ今ならば「祭囃し編を世に出せた竜ちゃんは凄いよな」と言えます。内容の是非はともかく、「逃げることも引き伸ばすこともなく出せた」ことは、です。
竜騎士07氏の本家に比べれば、ささやかすぎるくらいささやかですが、「澪IF」にも読者の方は居てくださいました。
私の考えている「結末」は必ずしも原作のテーマには沿っておらず、まさに「蛇足」の行き着く先でありましょう。期待はずれな代物かもしれません。やはり「ジョーカー」を扱うのは難しいのだと。
しかし、それを出すことを恐れてはならない。読者がいるからこそ、です。



竜騎士07氏流に言うならば、拙作に付けるべき序文は、

亜流を、蛇足を求められる物好きな方は、ようこそ、『ひぐらしのなく頃に後夜祭』の世界へ。
“敗者なしのジジ抜きでめでたしめでたし”甘口EDをお好みの方はどうぞお引取りを。
『ひぐらしのなく頃に後夜祭』は、解決した後に“あえて蒸し返す”蛇足な物語です。
しかし、だからこそ求めたくなる欲求不満な皆さんは、改めましてようこそ。
私も、そんな諦めの悪い皆さんと“追い求めたくて”この物語をお届けします。
スポンサーサイト
二次創作 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<フレデリカの詩(in「うみねこのなく頃に」) | HOME | ひだまりスケッチ×365第9話>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。