夢の欠片、その在処は

舞鶴鎮守府で提督やってます

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「覚えていた梨花」「覚えていなかった梨花」

諸事情により中断していた二次創作に再々着手。
記事タイトルの元ネタは…わかる人にはわかるかと。

私が好きな言い回しに、「歴史にIFはない“と言いますが”~」(別に“が”、でも“けれど”でもいいのですが)というのがあります。
あの時あの人が違う選択をしていたら歴史は~、あの時あの場所で違う事象が発生していたら歴史は~…エトセトラ、エトセトラ。
もちろん「IFはない」という言葉には、そう言うだけの意味があります。実際に歴史に刻まれた結果は、それが導かれた過程は、後世の人間が結果論や空想で描くどの展開よりも、必然だったのだと。

(どこか、「作者の原作」と「ファンの二次創作」の関係に近い気はします。)

でも、「歴史改変」って好きなんですよね。その意味で、今でも「ひぐらし」で一番好きな編は「賽殺し編」です。
そもそも鷹野三四がいなかったらいいじゃん(祭囃し編裏EDの方向なら当人も幸せだし)、と思うところ。ところが、実はその鷹野こそが雛見沢をダム水没から救った存在(結局、大災害で滅ぼしてしまいますが)でもあるという。ならば、鷹野が現れなかったら…?
高野一二三が研究を全うして、雛見沢症候群を根絶していたら?
前原圭一が児童襲撃を企てなかったら?
竜宮礼奈の家が離婚しなかったら?
園崎魅音と詩音が入れ替わらなかったら?

本来ならば、少なくとも当人たちにとってはいい事尽くめなIFのはず。
ところが、そこから導き出されるのは、ある人物にとってはあまりにも酷い結果。

乱暴な話、なまじっか本編8部作よりも、考えさせられることの多い話です。
「ひぐらし」は好きですが、「祭囃し編」で終わっていたら、多分それで終わっていたと思います。

賽殺し編は「罪のない世界」へ「罪のある世界」の梨花を迷わせた。
ならば、「敗者のいない世界」へ「敗者のいた世界」の梨花を迷わせたら?

書き方によっては、原作をひどく愚弄する内容にもなりかねないネタだと思っています。なぜなら、竜騎士07氏の場合は「罪のない世界」の住人たちを「罪のある世界」の住人(とプレイヤー)から見てどこか嫌なヤツに思える存在に描きましたが、私の場合――。

賽殺し編では、「罪のない世界」の梨花は間接的に語られるだけで登場しません。ですが、その「間接的に語られた」人物像は、見方によっては直接登場した他の誰よりも嫌なヤツにも思えます。
でも、それは果たして「罪のない世界」だからそうだったのか?

「澪IF」の古手梨花は、竜騎士07氏の古手梨花とは皆殺し編のラストで決定的に袂を分かっています――覚えているから。
自分の腹を裂いた相手の顔を? いえいえ違います。犯人の顔なんざ瑣末なこと。
(私は、原作の梨花が犯人の記憶を引き継げなかったことには大した感慨がなかったりします)

残酷な、望まない出来事がもたらした、「それ」は幸せといえるのか?
不幸を糧に、踏み台にして得た幸福は罪深きまやかしなのか?
でも――サイコロの六は、果たしてよきことばかりをもたらすのか?
サイコロの一は、本当に悪しきことしかもたらさないのか?

圭一と梨花がつかんだ「幸せ」が、実はとてもとても冷酷な「前提」のもとに成り立っているということを抉り出して描くのは、すごく辛いですネ。
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