夢の欠片、その在処は

舞鶴鎮守府で提督やってます

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古手梨花の憂鬱

タイトルに深い意味はありません。
ましてやSOS団某団長の作品とはなんの関わりもない記事、いや駄文です。

注意
以下に、独断と偏見に満ちた気持ち悪い主張めいた文章を書きます。
純粋な「ひぐらしのなく頃に」ファンはお読みにならないことをお薦めします。
文責は私、鳳龍にありますが、あくまで「個人ブログにおける一個人の主張」と汲み取り下さいませ。
とくに「ひぐらしのなく頃に解 祭囃し編」がお好きな方は、前回の記事に続き、お見苦しい内容となりますので。
単刀直入にいうと、私にとって「祭囃し編」とその流れをくんだ赤坂×梨花展開は黒歴史です。
ただお断りしておきますが、私は赤坂衛が嫌いなわけではありません。
暇潰し編は名作だと思いますし、主人公の彼も好人物として描かれていました。罪滅し編「悪魔の脚本」、更には批判、ネタ扱いされることもある皆殺し編の役立たずっぷりも、実は好きです。
そもそも、この赤坂温泉饅頭問題。
「赤坂が来たら、梨花のピンチを颯爽と助けてくれる」と強く願う人には噴飯モノの演出ですが、私は個人的にこれは、必ずしも赤坂の大失態でもなければ演出の大失敗ではない、と思っています。
「うみねこアニメ化」の記事の記述と矛盾するようですが、一旦それは脇に措くとして、この展開「自体」は間違っていません。何故ならば、皆殺し編の赤坂は梨花を助けようがないからです。
この編で、赤坂は暇潰し編とは異なり、梨花の「東京へ帰れ」の警告を素直に信じて、当時臨月だった妻・雪絵の元にとんぼ返りします。帰らなかった暇潰し編ではこの後、雪絵が病院の屋上で夫の無事を祈って病室に戻る際に階段から転落、死亡します。その知らせに接する直前、赤坂は梨花から「私は昭和58年6月に殺される」と予言めいたSOS(救いを求める声だとこの時の赤坂は気付かなかったが)を聞かされます。しかし雪絵の死は、愛妻家だった彼にとってはかなりの精神的ダメージとなり、結局立ち直れないまま、梨花が死ぬ昭和58年に何のアクションも起こせずに終わります(それを更に2年後に思い出して彼は盛大に後悔することになります。ここが一つの重要なポイント)。
妻の死が回避された皆殺し編ですが、どうやら赤坂は梨花から「SOS」を聞いてないようです。聞かされることになるイベントを回避してしまったから。「助けてくれ」と言われてもいないのに助けられるかとなります。まぁ訪ねてきた時、「きっと君(梨花)の力になる」とか思わせぶりなことをいうのですが(苦笑)。
何故皆殺し編で赤坂が昭和58年6月の雛見沢に来たのかというと、たまたま自宅と家族旅行の行先の間のコースから雛見沢はほど遠からぬ位置にあって、妻の命の恩人(赤坂が帰ってきたことで、雪絵は屋上へ行かずにすんだ)に会いたくなった、ということのようです。
赤坂が挨拶した直後、梨花の親友の沙都子が親権を有する叔父に連れ去られて虐待される展開になります。鷹野や入江に叔父を始末(!)してもらおうとするも果たせず、赤坂に助けを求めようとするのですが、取次ぎを頼んだ大石から帰ってきた答えは「温泉に行きましたよ」。
まぁ大石の言う通り、警察は民事不介入なんですけどね。むしろ暇潰し編の描写を見る限り、祭囃し編のような騎士覚醒でもしない限りは、大石より真面目な赤坂の方がこの原則論に拘りそうなイメージがあります。
この後沙都子は、圭一らが「ルールに則って助けよう」という方針で団結した結果、救出されるのですが、事後それを祝うムードのお祭に、間の悪い赤坂はふらりと戻ってきます。まぁ梨花に皮肉の一言を言われるのは(不条理ですが)仕方が無いとして。「役立たずは言い過ぎたか」とはモノローグでありますが、どうやら梨花、赤坂の株を暴落させてしまったようです。
そして恐らくはこの晩、赤坂はあっさりと帰ってしまいます。「あんた何しにきたんだ」と言いたくもなりますが、でも梨花は祭で顔を合わせたときにも、「SOS」は出してないようなので、やっぱり「助けてくれ」といわれても居ないのに助けられるかとなります。

これが、「皆殺し編の赤坂衛」の顛末です。
別に彼は、大失態は犯していません。すべき役目を怠った、不作為の罪もありません。「SOS」を聞いてないのですから(その疑惑があるのは寧ろ羽入でしょう)。更に言えば、勝手に「赤坂は助けてくれる存在」だと思い込んでいた梨花自身の責任です。恐らく、「SOS」を発信した「つもり」だったのでしょう。
そして、皆殺し編の梨花が導いた結論は、「赤坂という一人の英雄の活躍でどうにかなるものではない。彼一人に期待するのは間違ってた」というようなものです。
「英雄到来願望」否定の槍玉になってしまった格好の赤坂は(自分の与り知らぬところで)面目丸つぶれですが、これ自体は「ひぐらし解答編」の流れとして間違ってはいません。むしろ、竜騎士07氏としては、梨花一人称の視点を通して読者へ向けてある種の皮肉を込めたのでしょう。実際「そんなヒーローが来たら、みんな助けてくれると思うだろう(「ひぐらしのなく頃に祭 コンプリートガイド」にて)」と発言してます。つまり「そう思いきや実は違うんだ」というどんでん返し。
繰り返しますが、赤坂に落ち度はありません。強いて言えば、前述の通り挨拶の時に思わせぶりなことを言ってしまったことぐらいでしょう。
(ただ、始めから赤坂は「役立たずで終わって英雄否定の例示になる」予定だったのかというと、そうでもないようで、没テキスト集「蔵出し」によると、沙都子救出の終盤で「逃げ出そうとする叔父を赤坂が得意の麻雀でコテンパンにする」シーンの構想があったらしいです。竜騎士07氏は、こんなシーンを入れたら、沙都子克己のイベントの涙が台無しになるから省いた、と書かれてましたが、祭囃し編のことを考えると、後述しますがこれは少しおかしな話です)
ところがこの後、赤坂はファンから温泉と連呼され、ネタキャラにされた……少なくとも竜騎士07氏はそう認識し、「すまん赤坂…(涙)」と蔵出しに書きます。だからこそ、祭囃し編で挽回させてやりたかったともはっきり仰り、大活躍させます。
でも、はっきり言ってこれはおかしな話です。散々述べているように、作中の赤坂には落ち度もなく、赤坂が「救世主」として機能しなかった「演出」としてのちゃんとした意味もあった。何か万能で強そうな英雄一人に頼るのではなく、個としての力は微々たるものでも、みんなで協力しよう、という意味が。
前回、祭囃し編で「圭一が空気」なのを嘆くのは単なる感情論と自ら断りましたが、逆に皆殺し編においては「赤坂が役立たず」なのを嘆くのは単なる感情論でしかありません。大体、沙都子救出の際に赤坂が役立つかといえば、民事介入で警視庁公安の肩書を大っぴらにするはずもなく。祭の夜に助けを求めていれば梨花を救出できるかというと、想像の余地はありますが、勝手に失望した梨花は助けを求めてないので、赤坂への期待値を回復させて信じさせる努力をしないことには話が始まりません。この時点では梨花殺害の真相――鷹野が「東京」内部の陰謀に踊らされる形で村全滅の終末作戦を推進した結果――には全く至っていないので、単に「私は殺される」としか言えません。この数日後に仲間達と話したことでようやく「鷹野を犯人と推定」に立ち至れるわけで。祭囃し編では「鷹野が敵」が既に前提である程度状況証拠を積み上げた上で赤坂とのコンタクトが始まったので全く状況が異なります。
つまりは、「役立たず」と叩くほうがおかしい。
私が前回、「こんなことなら麻雀対決を~」と書いたのは、こんな不条理な批判に流されて「すまん」と書くくらいなら、こんな意表を突く展開はしないほうがいい、ということです。ファンが意表を突かれたらどうなるのか、想像できなかったのかと。(「ひぐらしのなく頃に祭 コンプリートガイド」インタビューによると、「あそこまでネタにされるとは読めなかった」そうです。できなかったんですね)
こんな願望じみた不条理な非難がまかり通って、作者が「じゃあ盛大に活躍させてやろう」とは、あまりにも泥縄がすぎます。

ちなみに祭囃し編では、皆殺し編と異なり、雪絵に電話で「病室で安静にしているように」と伝え、雛見沢での仕事を続行、梨花の「予言」を聞きます。一旦は忘れてしまいますが、まさに昭和58年6月、たまたま捜査資料に「入江診療所」の記述を見つけて、彼は思い出し、梨花の元に来ます。
ちなみに、この時梨花は「前の世界」にあたる皆殺し編のことをスッパリと忘れ去っています。嫌味な話、「赤坂に勝手に期待して勝手に失望した」“梨花の”大失敗の記憶もです。
赤坂と再会した時、梨花は号泣して胸に飛び込むのですが、ちょっと引っかかります。
前の世界、皆殺し編ではほぼ同じシチュエーション(内実は全く違いますが、梨花主観では関係ないことです)で再会し「今度は君の力になる」と言われても、驚き感激は確かにしましたが、盛大に泣き出したりはせず祭囃し編ほどのオーバーリアクションではありません。
またこの後、羽入が一計を案じて赤坂を梨花の身代わりとして家に張り込ませる提案をするのですが、ここで梨花が赤面して盛大にアタフタします。所謂「だめだめやだやだ」な梨花最大のデレシーン。多少感情論は入ってますが、正直梨花の赤坂好感度がこの時点で何故ここまで異様に高いのか、若干理解に苦しむ面はあります。まだ彼は、ほとんど何も成しえてないのに、です。颯爽と助けに来るのはこの後のことなのです。その後(終盤で会った時に「また」泣きつくシーンもあります)ならばこんなデレが来ても納得なのですが、祭囃し編「以前の」世界を俯瞰しても、赤坂が梨花の元へ助けに来たことはただの一度もありません。梨花主観では、百年以上、何度助けを求めてもなしのつぶてだったのです。
これではつまり梨花は元から赤坂にかなり好きだった、それも暇潰し編のエピソードだけの付き合いでかなり気に入っていたということになります。「予言」をしても今まで助けに来なかったけどそんなの関係ない――あれ?
ちょっと、おかしいですね。赤坂が役に立とうが立つまいが、好感度の「設定値」が高いのなら、皆殺し編の時点で号泣の対面をし、お祭で二度目の再会をしたとき冷静に「役立たずはいい過ぎた」と内心で皮肉気味に自嘲したりはしないでしょう。むしろ本当に、あの場で赤坂を信じて「相談」すべきではなかったのか?

この後、敵山狗の捕虜となった梨花は、連れ去られる直前に間一髪、梨花の家を飛び出してきた赤坂渾身の突撃で助けられます。
これが「ひぐらしのなく頃に全シリーズを通して屈指の名シーンと高く評価されている(『ウィキペディア(Wikipedia)』)」、通称「徹甲弾シーン」です。この際に放った「名言とされている(同左)」台詞「君を助けに来た」と共に、このシーンは所謂赤梨花ファンを中心には神シーンとされます。まぁ私も良いシーンだとは思います、ここまでは。
しかしこの後、「その威力は徹甲弾」などといった大文字テロップが踊り、何処の北斗ケンシロウだといわんばかりにたった一人で十人近い山狗を薙ぎ倒し、隊長の小此木とタイマン勝負をして圧倒、戦意喪失させます。「給料いくらだ」とか言い出してやりたい放題です。
しかし、これは流石にやり過ぎ、過剰演出との声もあります。実際、我が妹は赤梨花派ですが「『助けに来た』はいいけどそれ以降はちょっとやり過ぎ」と苦笑い。
大体、皆殺し編で「沙都子克己の涙を台無しにするから」赤坂の麻雀大立ち回り(ド派手な対決だったそうです)を削ったという竜騎士07氏が、何故ここまではっちゃけるのは少々理解に苦しみます。
祭囃し編ではこの他にも、入江が詩音に向けて悟史の治療を誓った直後に「メイドインヘヴン」を入れたり、クライマックス近くで「空気が読めない」とネタにされてた魅音に「空気投げ」をさせたり、一体「感動的なシーンを台無しになってしまう」と憂いだ発言をどの口がいうのかと思ってしまいます。

ルールYで公安警察の赤坂が活躍する、これはなんの異論もありません。神社で鷹野を疑い切れない富竹を、捜査情報を元に説き伏せる流れは妥当でしょう。
しかし、これ以降赤坂の活躍は大半が腕っ節によるもの。「公安」の肩書はほとんどどうでもよくなります。しかもやたら滅多強すぎる。
彼が助けに来られたのは、「後悔した暇潰し編のカケラ屑」を「祭囃し編のカケラ」にくっつけたから、だから幾多の世界の後悔が積み重なって滅茶苦茶強いといいますが、ちょっと強引なきらいも。

赤坂の側はともかく、梨花の方はいかにも「赤坂のカッコよさ」をアピールさせたいスポークスマン(ウーマン?)的匂いがキツイです。
なんか、ここまでする必要があったのか、と思わないではいられません。なんか、これはもうファン小説の域じゃないかと愕然とします。
またまた嫌味ですが、先程引用したウィキぺディアの赤坂の項目では、「暇潰し編」と「祭囃し編」の記述はありますが、「皆殺し編」の記述は一切ありません。「温泉」は完全に黒歴史です。
でも私は、今更ですがあえて問いたい。

本当に温泉を作中でもファンの間でも黒歴史にする必要はあったのか?

前述した通り、あの顛末には相応の意味がありました。「赤坂一人の活躍に期待するのは間違ってる」と。(その意味で叶希一氏の書いた「澪尽し編」の梨花は妙な過ちを犯します。「圭一以外にはなかなか打ち明けようとしない秘密主義に陥る」という。それが解決を遅らせて犠牲を出した一因なのですから重大です)
私はこの演出を寧ろ支持しています。だから、次の祭囃し編では赤坂(や富竹など)も全員力を併せて、という流れも出てくる。
なのに、ファンの無責任な批判に迎合するような形で、赤坂を「英雄」にしてしまった。あそこまで強い力を持たせてまで。あんなに強すぎるんじゃ、「赤坂が居れば危なっかしくて弱っちい味方は要らない」にもなりかねません。
そして皆殺し編の梨花と祭囃し編の梨花、はっきり言って別人です(澪尽し編もですが)。皆殺し編が「欠番」ならば梨花主観では罪滅し編の後、ということになるのですが、目覚めた直後の言動は皆殺し編序盤と祭囃し編(カケラ紡ぎの終わった後)本編序盤とでは、本当に同一人物なのか、と思いたくなります。

おそらく、最初は圭一に期待(罪滅し編の後ならそうなる)する展開をまたぞろ繰り返すのを嫌い、そして赤坂と神社で対面した時この再会が「初めて昭和58年6月の雛見沢に来てくれたことにして」感涙させたかった、その両立の結果なのだろうと思います。「既に一度来てくれたことがある。しかし何の役にも立たなかった」という記憶があっては、流石に涙はボロボロ流さないでしょう。
流石は繰り返しに飽いて新鮮な感覚に飢えているフレデリカの魔女です。
私は、最初は赤坂に過度の感慨を抱かなくてもいいのではないかと思ってますけど。むしろ、最初はパッとしないどころか好感度が低い状態にして、「君を助けに来た」で一気にボルテージを上げたほうが(あのド派手な演出ももしかしたらより受け入れられやすいかも)、と愚考するのですが。

だから、このテーマ、この先何時か二次創作で取り上げたいと思ってます。
鳳龍が抱いた疑念、「もし梨花が祭の夜までの記憶は継承していたら、祭囃し編は?」に何時か挑んでみたい。「祭囃し編の分岐」のようなもので。赤梨花を貶めるつもりはありません。しかし、個人的にはたとえ「温泉」を黒歴史などにしなくても、最後に梨花は赤坂の奮戦敢闘をキチンと評価して惚れる、と思うのです。(まぁ蛇足になりそうだから、記憶を引き継いだ澪尽し編でも「温泉」は一切なかったことにしたんだろうとは思います)
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